トム・ソーヤーの冒険を大人になって読んだら意外と辛辣だった|光文社古典新訳文庫・土屋京子訳レビュー

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『トム・ソーヤーの冒険』(光文社古典新訳文庫/土屋京子訳)読後レビュー

『トム・ソーヤーの冒険』は、タイトルも主人公の名前もあまりに有名で、物語のあらすじも「知っているつもり」になりやすい作品だ。
私自身、子どもの頃にアニメで見た記憶はあるが、原作を一冊通して読んだのは今回が初めてだったと思う。

結論から言えば、とても面白かった。
そして同時に、「思っていたよりずっと辛辣な物語だな」という印象も残った。

思った以上に“ちゃんと悪い”トム・ソーヤー

トム・ソーヤーといえば、悪ガキの代名詞のような存在だ。
ただし本作のトムは、微笑ましいいたずらっ子というより、「それ、普通に悪いことでは?」と思う行動を平然とやってのける。

ずる賢く、見栄っ張りで、時に卑怯。
それでも嫌いになりきれないのは、子ども特有の虚勢や承認欲求、無邪気さと残酷さが混在した存在として描かれているからだろう。
理想化された少年像ではなく、「子どもという存在の厄介さ」まで含めて描いている点が印象的だった。

当時のアメリカ社会が透けて見える物語

読み進めるうちに強く感じたのは、19世紀アメリカの片田舎の風習や迷信が非常に濃く描かれている点だ。
おまじないや噂話に振り回される子どもたちと大人たちの姿は、どこか滑稽でありながら、閉鎖的な社会の空気も感じさせる。

また、作中にはネイティブアメリカンに対する差別的な表現も登場する。
ただ、それは単なる時代背景の再生産というより、当時の価値観そのものを戯画化し、風刺しているようにも読めた。
このあたりは、ある程度の基礎知識を身につけた大人になってから読むことで、初めて引っかかる部分だと思う。

ファミコン版『スクウェアのトム・ソーヤー』の記憶

今回原作を読んでいて、ふと思い出したのがファミコンソフト『スクウェアのトム・ソーヤー』だ。
自分でプレイしたわけではなく、友人が苦労しているのを横で見ていただけなのだが、妙に印象に残っている場面がある。

「インジャンジョーが見つからない」

当時の私は、それを聞いて、インジャンジョーというのはラスボス的な存在なのだろう、と勝手に思っていた。
そもそもそれが「インディアン・ジョー」の表記揺れなのかどうかも分からず、正体不明の怖い敵キャラ、という認識だった。

今回、原作を読んでインディアン・ジョーという人物を改めて知り、あの頃の違和感がようやく腑に落ちた。
彼は単なる「倒すべき敵」ではなく、物語全体に不穏さと緊張感を与える存在であり、子どもの冒険譚を一段暗い場所へ引きずり込む役割を担っている。

ファミコン版では、ゲームとして成立させるために明確な目標や敵に整理されていたのだろうが、原作ではもっと生々しく、単純な善悪では割り切れない。
子どもの頃には分からなかった重みを、今になってようやく理解できた気がした。

土屋京子訳の読みやすさ

今回読んだ光文社古典新訳文庫・土屋京子訳は、評判通り非常に読みやすかった。
古典にありがちな文体の硬さは抑えられており、テンポよく読み進めることができる。

内容自体は決して現代的ではないため、訳者によってはかなり取っつきにくくなる作品だと思うが、その点でこの新訳は安心して薦められる。

子どもの頃に読むべきか、大人になって読むべきか

『トム・ソーヤーの冒険』は、大人も子どもも楽しめる作品だと思う。
ただ、正直に言えば、今の自分だからこそ面白かった部分が多い。

一方で、小学生の頃に触れていれば、もっと違う形で強く心に残っただろうとも感じる。
時代の古さは否定できず、誰にでも勧められる作品ではないが、古典が好きな人、あるいは「有名だけどちゃんと読んだことがない」という人には、今あらためて読む価値のある一冊だと思う。

子どもの頃の「分からなさ」が、今になって回収される

子どもの頃に触れた物語やゲームは、断片的な印象だけが残りがちだ。
ファミコン版『スクウェアのトム・ソーヤー』で聞いた「インジャンジョーが見つからない」という言葉も、当時は意味の分からないイベントの一つでしかなかった。

今回、原作を読んでみて、その曖昧だった記憶がようやく一つの物語としてつながった。
理解できなかったからこそ印象に残り、理解できる年齢になって初めて回収される。
古典を読み返す面白さとは、案外こういうところにあるのかもしれない。

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